岡田更生館事件の館長の実名・裁判のその後は?跡地への行き方をご紹介!

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場所

約2年の間に70人以上が死亡した『岡田更生館事件』。

 

『岡田更生館事件』が起こった背景には、

 

戦後間もないころの混乱期の日本に、さまざまな理由から行き場を失い、浮浪者となってしまった人が街に溢れていたという社会問題がありました。

 

そんな方々を収容する為に全国に施設が設けられたのですが、その施設の1つが『岡田更生館』でした。

 

しかし、岡田更生館ではまともな食事も与えず、劣悪な衛生状態の環境でひどい行いを繰り返しながら監禁状態で収容者を生活させていました。

 

このような生活の中だったので収容者達は衰弱し、たくさんの方が命をおとされました。

犠牲になられた方々の中には子供や乳幼児もいたのだとか。

 

すべては、施設維持のための公的な支援金を着服するためだけに繰り返された身勝手な事件。

 

浮浪者になってしまった方々の弱みに付け込み、甘い言葉で岡田更生館へ浮浪者を連れてきては監禁するという、人権なんて全く無視した本当に恐ろしく悲惨な事件ですよね。

 

この事件もまた日ごとに風化されていってしまっておりますが、こんなおぞましい事件、絶対に忘れてはなりません。

 

県立の更生館で起きた事件なだけに、当時世間の注目を集めた事件であり、岡山県にとっては、とてつもなく大きな汚点となる事件でした。

 

もちろんこの事件に関わった関係者は全員有罪判決となりましたが、そこで気になるのはこんなひどい事を2年もの間続けていた彼らに対してどんな判決が出たのかですよね。

 

当時の岡田更生館の館長の実名についてや、その後の岡田更生館の跡地が今現在どうなっているのかなどについても合わせて詳しく調べまとめましたのでご覧下さい。

 

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岡田更生館事件の館長の実名は公開されていない?裁判の判決結果は?

『岡田更生館事件』の館長は自身の私腹を肥やす為に県からの施設収容者への公金給付を着服していました。

 

集めた浮浪者達にはまともに食事も与えず、衰弱死させていたという本当に恐ろしすぎる事件。

 

亡くなられた方の数も約2年あまりで76人とかなり多く、おおきな事件であることは間違いないのです。

 

しかし、この館長はなぜか実名が公表されておりません。

どの記事に目を通してみても、『N館長』としか記載がありませんでした。

 

また、さらに驚きなのが、裁判の判決の結果

これだけの大きな事件を起こしたこのN館長に下された判決は、業務上横領と私文書偽造の罪で、懲役1年執行猶予3年という判決でした。

 

これほどの人数を虐殺し、2年間という長い期間たくさんの人を苦しめたN館長ですよ?

 

なんと執行猶予付きの判決が下ったというのは信じられませんし、到底納得できませんよね?

 

このN館長をはじめとする、岡田更生館の関係者は全員逮捕、起訴されて有罪が確定しているわけなのです。

しかし、やはりどれも執行猶予付きの判決でした。

この時代に生きる私達の感覚では到底理解できない判決結果となっています。

 

信じたくはありませんが、戦後間もないころの日本ではこれがまかり通っていたのでしょう。

 

岡田更生館で過ごした時間は想像を絶する時間、地獄そのものだったはず。

 

そんな地獄の様な日々に耐えた被害者の方々、また、そのご家族の方々を思うと本当に納得のいかない判決結果です。

 

岡田更生館事件があった場所はどこ?跡地への行き方は?

『岡田更生館事件』のあった場所はどこなのか、跡地へ行き方は気になるところですよね。

そこで、岡田更生館の場所やその後を詳しく調べてみました。

 

まず、当時、岡田更生館のあった住所は岡山県吉備群岡田村という場所でした。

現在は、岡山県倉敷市真備町岡田という住所に変わっています。

 

では、跡地への行き方をご紹介致しましょう。

 

犠牲になられた方々の慰霊碑が立てられている場所の住所が

〒710-1311

岡山県倉敷市真備町岡田846千光寺

 

近くに駅は、井原鉄道の川辺宿駅という駅で、徒歩約54分、車だと11分くらいの場所にあります。

 

駅からは離れた場所ですので、徒歩で行かれる場合は歩きやすい靴で行かれることをおすすめ致します。

 

事件を風化させない為にも是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

ちなみにですが『倉敷市真備町』と聞いて、すでにピンときた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

そう、そこは、2年前に西日本豪雨による大規模浸水で大きな被害を受けた地域。

 

つまり、この場所は現在ではすっかり住宅地へと姿を変えており、岡田更生館があったころの面影は今はありません。

 

余談ですが、事件発覚後、岡田更生館は一体どうなっていったのかというところを詳しく調べたところ、その後すぐ“岡山県吉備寮”と名を変えていたようです。

 

ですが、1955年に施設は廃止となってしまいました

 

これほどまでに大きな事件を起こし直後に閉鎖されなかったこと事態が信じられないほどですが。

 

そしてその後は、救護施設として新たに生まれ変わったものの、この施設もやはり1年という短い期間で閉鎖してしまいます。

 

一時期は民間の病院がその跡地に開院したこともあったようなのですが、

 

こちらの病院もまた今はもうそこにその姿はなく、

 

現在の倉敷市真備町の姿、つまり一般の方々が暮らす住宅地へと変化していったそうです。

 

まとめ

『岡田更生館事件』は現在でも語り継がれ続けるべき、忘れ去られてはいけない大事件なのですが、

 

なぜでしょうか、記録がほとんど残っていないようです。

 

この事件はもしかすると想像以上に闇が深いのかもしれませんね。

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