大昔の日本で『穴太衆』というお城の石垣作り専門の技術集団が活躍していたことはご存知でしょうか。
日本各地のお城を見るたび、よくそんな大昔にこんな大きな建物や石垣がたったよなー。と毎回感心してしまいます。
大昔に建てられたお城のあの高く、強い石垣はこの『穴太衆』が積み上げたものなのです!
穴太を制するものが戦いを制するとまで言われていたほど、穴太の技術がこの時代には欠かせなかったそうです。
何百年も経過した現代にまで、その形を残すことができているのだから素晴らしい技術であったことは間違いありませんよね。
さて、そんな『穴太衆』ですが、日本の元祖石工職人のフリーメイソンとだったかも?!というお話もあるのです。
そうだったらとっても驚いてしまいますよね。
というのも、フリーメイソンのルーツを遡ると穴太衆と同じく、『石工職人』なのですよね。
何だかワクワクしてきますし、関係があってほしいとなんとなく思ってしまうのですが、実はその手法は対照的なもの。
どうやら、結びつけるのは少し難しそうです。
というわけで今回は、穴太衆とフリーメイソンの関係やその違いなどを詳しく調べまとめていきたいと思います!
そもそも穴太衆とフリーメイソンって何?その違いは?

そもそも穴太衆とフリーメイソンってなに?!と『?』マークがいっぱいの方もいるかもしれません。
まずは穴太衆、フリーメイソンについて説明しておきますね!
『穴太衆』というのは先ほども軽く触れましたが、大昔の日本、詳しくいえば、安土桃山時代の日本で活躍した『石工』の集団なのです。
穴太衆は超技術集団と言われるほど、その技術は素晴らしいもので、石垣の強度は現代技術を凌ぐほど。
戦いを制するには彼らの積み上げた石垣は欠かせなかったそうです。
そのことから、穴太衆は
- 織田
- 豊臣
- 徳川
といった、時代の権力者たちから庇護されて全国に散らばっていったそう。
そして、『フリーメイソン』。
現代では『世界を裏で操っている』なんてとっても怪しげなオカルト話を聞いたりしますが、
結局フリーメイソンって何なのか良く分かっていないという方も多いのではないでしょうか。
フリーメイソンは世界的に有名な秘密結社、正しくは会員を表す言葉です。
その起源は中世のイギリスで、
- 大聖堂
- 修道院
- 宮殿
なんかを建設するために集められた石工職人の組織だと言われているそうです。
そのことから、シンボルマークには、石工の道具だったコンパスや定規が描かれているそうですよ。
神殿や王様の墳墓を造る打ち合わせをしていくうち、聖職者達のみ知る秘密教義を受け継ぐようになっていったんだとか。
穴太衆とフリーメイソンの違いとは?
さて、次に穴太衆とフリーメイソンの違いがどんな所なのかをご説明致しましょう。
その違いは穴太衆とフリーメイソンの手法。
それは対照的ともいえるのです。
穴太衆は“野面積み(のづらづみ)”と呼ばれる手法で、
自然の石を切りそろえたりはせず、そのまま組み上げていくという日本独自の石工術でした。
それに対し、フリーメイソンは天然の石を人工的に加工し、それを素材としていました。
全く異なる対照的な手法からみえてくるのは、
穴太衆とフリーメイソンでは違った建築思想ということと考えられるのではないでしょうか。
穴太衆とフリーメイソンに関係性はなし?実際どうなの?

穴太衆とフリーメイソンに関係性があるのかないのか気になり随分調べましたが、実際の所はっきりしたことは分かりませんでした。
穴太衆とフリーメイソンは石を扱う技術者の集団だという共通点は見つかりましたし、
そのルーツを深く調べてみると、穴太衆もフリーメイソンも古代から受け継がれているという所でも共通しています。
古代の歴史を古墳時代にまで遡ると、穴太衆は古墳の造営に従事していたということが分かったのですが、
これは天皇や皇族の宗教観と密接な関係にあったことを意味します。
フリーメイソンもまた、神殿や王様の墳墓を造る打ち合わせをしていくうち、
聖職者達のみ知る秘密教義を受け継ぐようになっていったというほど、
聖職者達と密接な関係だったことが分かります。
関係性を説明出来そうな糸口はあるのですが、それを明確に説明するのはなかなか難しそうです。
やはり、フリーメイソンは謎に包まれています。
まとめ

現代の日本には便利な道具などがたくさんありますが、
まだ何もなかった時代の日本でたくさんのお城が造られ、
現代でもその姿を残しているという事は本当に信じられない程すごい事ですよね。
昔の人の知恵や技術力は素晴らしいものです。
残念ながら、穴太衆とフリーメイソンとの関係ははっきりと裏付けられるものは見当たりませんでした。
ですが、そのルーツを遡ることは奥深い新しい世界の扉が開きどんどん引き込まれていきます!
自分なりに真相を模索してみるのも楽しいものですよ。